東京都大田区の歴史
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在 東京都大田区池上1-1-1 日蓮宗大本山 池上本門寺 池上本門寺境内には「仁王門」、「石段」、「日蓮大聖人説法像(星亨 銅像跡)」、「梵鐘」、「加藤清正室の層塔」、「五重塔」、「日朝堂(常唱堂)」、「大坊坂」、「宝塔(日蓮聖人御荼毘所)」、「池上本門寺文書〔一括〕」、「霊寶殿」、「奉安塔」、「大堂(祖師堂)」、「経堂」、「紺紙金泥法華経」、「天海版一切経」、「日輪聖人坐像」、「日朗聖人坐像」、「柄香炉」、「松涛園」、「本殿」、「御廟所」、「歴代住職墓所」、「長栄堂」、「車坂」があります。 1世 日蓮大聖人(1222~1282) 2世 日朗聖人(1243~1320) 3世 日輪聖人(1272~1359) 4世 日山聖人 5世 6世 7世 日寿聖人 8世 日調聖人 9世 日純聖人 10世 日陽聖人 11世 日現聖人 12世 日惺聖人 13世 日尊聖人 14世 日詔聖人 複暦16世 日樹聖人 16世 日遠聖人 17世 日東聖人( ~1648) 18世 日耀聖人(1599~1655) 19世 日豊聖人 20世 日重聖人 21世 日乾聖人 22世 日玄聖人 23世 日潤聖人 24世 日等聖人 25世 日深聖人 26世 日芳聖人 27世 28世 日侃聖人 29世 30世 31世 32世 33世 34世 日謙聖人 35世 36世 37世 38世 39世 40世 41世 日洋聖人 42世 43世 44世 45世 46世 47世 48世 日万聖人 49世 50世 51世 52世 日遵聖人 53世 54世 日英聖人 55世 56世 57世 58世 59世 60世 日運聖人(1801~1878) 61世 62世 63世 64世 65世 新居日薩聖人(1830~1888) 66世 鶏渓日舜 67世 68世 日亀 69世 70世 日迦 71世 72世 73世 74世 酒井日慎 75世 76世 日量 77世 日教 78世 日暉 79世 伊藤日定 80世 金子日威 81世 田中日淳 82世 酒井日慈 PR 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定有形文化財 池上本門寺の総門と扁額へんがく 昭和49年(1974年)2月2日指定 総門は、本門寺山内に現存する古い建築物の一つである。安藤広重の「江戸百景」などにも描かれ著名。 建造年代は、元禄年間(1688~1703)といわれ、高さ6.4m、主柱間5.39mあり、総欅素木造(そうけやきしつきづくり)で、簡素かつ壮大な構えをしている。 扁額(へんがく)の文字は、本阿弥光悦(1558~1637)の書を彫刻したものである。 額は複製され、実物は寺宝として寺内に保管されている。名筆家である光悦の、堂々たる書風を示す屈指の作品である。 大田区教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定文化財 池上本門寺の石段(此経難持坂しきょうなんじさか) 昭和49年(1974年)2月2日指定 この石段は、加藤清正(1562~1611)の寄進によって造営されたと伝えられ、「法華経」宝塔品(ほうとうぼん)の偈文(げぶん)96字にちなみ、96段に構築され、別称を「此経難持坂しきょうなんじさか」という。 なお、元禄の頃(1688~1703)に改修されているが、造営当時の祖型を残しており、貴重な石造遺構である。 加藤清正は慶長11年(1606年)に祖師堂を寄進建立し、寺域を整備しているので、この石段もその頃の所産と思われる。 大田区教育委員会 此経難持坂しきょうなんじさか この石段阪は、慶長年間(1596~1615)加藤清正の寄進によるものと伝えられる。「法華経」宝塔品(ほうとうぼん)の詩句96文字にちなんで石段を96段とし、詩句の文頭の文字「此経難持(しきょうなんじ)」をとって阪名とした。なお、石段は元禄年間(1688~1704)に改修されたといわれる。 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) この像は宗祖第七百遠忌記念として昭和58年(1983年)富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので斯界の権威北村西望先生の作品です。 もとここには明治の政治家星亨先生の銅像がありましたが、今般星家の御協力により台座を奉納頂きこの像を建立しました。 昭和58年10月吉日 大本山 池上 本門寺
像の材質は純アルミ、高さ3.4m、重量1t
所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 仁王門(三門) 大堂正面に建つ二重門。1977年(昭和52年)に再建。 <仁王像> 仁王門の左右にある仁王像は、彫刻家の圓鍔勝三(えんつば かつぞう)(1905~2003)の作、1978年(昭和53年)木彫り。 モデルはアントニオ猪木と云われる。 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定文化財 池上本門寺の梵鐘 昭和49年(1974年)2月2日指定 正保4年(1647年)、加藤清正の息女で後に紀伊頼宣室(夫人)となった瑤林院(ようりんいん)(1601~1666)の寄進した梵鐘である。 正徳4年(1714年)に紀州粉河(こかわ)の鋳物師木村将監(きむらしょうげん)藤原安成によって改鋳。その際初鋳当時の銘文がそのまま残され、縦帯の銘文は筆順に随った籠字筋彫りであるのも珍しい。 その雄大さと共に豪快重厚な作風は都内屈指といえよう。
戦災による鐘楼の焼失で一部に亀裂と歪みを生じたが、なお資料的価値は高い。
大田区教育委員会 この梵鐘は正保四年当山第十七世日東上人の代に加藤清正公の息女瑤林院の寄進によって新鋳されたのを七十年の後第二十三世日潤承認の代に改鋳したものであって爾来二百三十余年鯨音四鄰に震い霊域に荘厳を加えていた然るに昭和二十年四月十五日空襲の戦火を蒙むり嫋々たる余韻を失うにいたった檀家總代の児玉誉士夫はこのことを寂寥とし発願して新たに梵鐘を造ったよってその撞 昭和三十九年十一月十三日 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 日朝堂は常唱堂ともいい大曼荼羅御御本尊と共に眼病救護の行学院日朝上人をおまつりいたしております。 日朝上人は応永29年(1422年)伊豆宇佐美でご誕生になり8才で出家され苦修練行昼夜常精進の行学修行を続けられました。 学徳兼備の誉れ高く 41才の時 身延山第十一世法主となられ現在の身延山久遠寺隆昌の基礎を築かれ 又 関東に布教しては新寺四十余ヶ寺を建立されました。 御年61才の3月「眼病消滅の御本尊」をお書きになり なお一層教化と著述に(著書七百余巻)専念され 明応9年(1500年) 79才を以てご遷化されました。 当山では日朝上人の徳を讃え ご尊像を当堂にご安置いたしましたところ日を追って参詣者が多くなり 常にお題目を唱える道場として知られるようになりました
大祭 7月25日
ご縁日 毎月25日 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定文化財 加藤清正室の層塔 昭和49年(1974年)2月2日指定 この塔は、江戸時代に建立された軒の美しい層塔である。現在では相輪も失われ、8層を残すのみとなっている。初層塔身の銘文によれば、寛永3年(1626年)に、11層の石塔として建てられた。 加藤清正(1562~1611)の室(夫人)であり、清正の嫡男忠広(1601~1611)の母である正室応院が、生前に自分のために仏事をおさめ、死後の冥福を祈るという逆修供養のために建てたものである。本門寺15代日樹が開眼している。 初層の塔身に追刻されている慶安3年(1650)の銘は、正応院の命日である。 大田区教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大坊坂たいぼうざか 『新編武蔵風土記稿』に「大坊坂方丈の右の坂なり、大坊へ行く道なればこの名あり。」と記されている。本門寺山内西隅の石段坂坂下に大坊と呼ばれる本行寺がある。 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 東京都指定有形文化財 宝塔(日蓮聖人御荼毘所) 昭和38年(1963年)3月19日指定 かつて灰堂があったという記録が見られるが、この宝塔は棟札(所在不明)抄により、文政11年(1828年)11月13日、日蓮上人の550遠忌を記念し、前犬山城主成瀬候らを本願主として再建された。作者は小木新七その他。その後嘉永4年(1851年)に修理されている。 石造基壇は高い方形基壇および蓮台形座からなる。木造建築の軸部は平面円形でやや伏鉢状をなし、側柱8本を円形に配し、内部には4天柱を立てている。伏鉢部の上に12本の側柱および8本の柱を円形に配して上層をなしている。附の宝塔は4天柱の内に安置され、意匠は本堂塔に類似している。 この宝塔は富山県本法寺蔵の重要文化財絹本着色法華曼荼羅図に見える多宝仏塔に類似しており、建設時代は新しいが、宝塔形式の遺構としてはほとんど類例がない。 東京都文化財保護条例(昭和51年3月31日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えて下さい。 東京都教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 霊寶殿れいほうでんは、池上本門寺の霊宝・寺宝を収蔵し、展示公開する建物です(展示品は毎月入れ替えています)。 【開館日】 毎週日曜日(原則) 【開館時間】 10:00~16:00 【拝観料】 大人(高校生以上)300円 子供(中学生)200円 正面入口の「霊寶殿(れいほうでん)」という文字は、日蓮聖人の御真跡から選んで拡大したものです。 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 池上本門寺は、昭和20年(1945年)4月15日の空襲により、大堂をはじめ、ほとんどの建物を焼失するという、未曾有の災厄を被りました。しかしながら、戦後ただちに復興事業に着手し、まず最初に、日蓮大聖人御尊像と御真骨を格護するための奉安塔が、一字一石写経による浄財勧募によって、昭和29年(1954年)4月に建設されました。 奉安塔は、防火・防災のため、鉄筋コンクリート造り銅板葺きで、当初は、仮祖先師堂の背後(現在の大堂内陣あたり)に位置しましたが、昭和37年(1962年)に着工した大堂再建工事を機に、現在の霊寶殿所在地に移されました。 昭和39年(1964年)に大堂が完成した後、しばらくの間は御霊寶収蔵庫・納経塔などの役割を果たしてきましたが、日蓮大聖人立教開宗750年記念慶讃事業「霊寶殿」建立のため、平成11年(1999年)6月に解体されました。 よって、ここに当山の戦後復興に大きな役割を果たした奉安塔の由来とその姿を刻み、相輪を留めて、ご協賛いただいた檀信徒の徳行を讃えるものであります。 平成15年(2003年)4月4日 第82世 酒井日慈 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 重要文化財 池上本門寺 五重塔 慶長13年(1608年)建立。関東地方に4基現存する幕末以前の五重塔のうちのひとつ、その中でも一番古い五重塔である。 総高約31m、塔高29.37m
所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定文化財 池上本門寺文書〔一括〕 昭和50年(1975年)3月19日指定 1.大曼荼羅 41点 2.古文書 27点 3.記録書跡類 20点 以上は、国・都指定の5点を除いた、池上本門寺所蔵文書のうち戦災を免れたものである。 池上本門寺史研究の上で、いずれも貴重な根本史料であり、なかでも、断簡を含む日蓮自筆の消息16点、中世の本門寺貫首染筆の大曼荼羅、慶長15年(1610年)より延宝5年(1677年)に至る古山規5通(1巻)等は、特に注目すべきものといえる。 大田区教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区文化財 天海版一切経 昭和51年(1976年)2月25日指定 天海(1536~1643)は、その晩年、寛永寺において木活字による一切経の開版を企図し、寛永14年(1637年)から刊行を始め、慶安元年(1648年)、彼の死後に完成した。 世に「天海版一切経」として広く知られているが、その残存例は少ない。 当時の輪蔵に伝存するこの一切経は、「新編武蔵風土記稿しんぺんむさしふどきこう」によれば、松平讃岐守の室(永昌院)が寄進したものといわれる。 保存状態もよく、大部分が揃っており、欠本はわずかである。 わが国近世初頭の、木活字本出版事業としても注目される。 大田区教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区文化財 日朗聖人坐像 昭和50年(1975年)3月19日指定 木造寄木造り、彩色、玉眼、像高45cm。大堂(祖師堂)内に日蓮聖人坐像(日本国重要文化財)を中心に、向かって左側に本像、右側に日輪聖人坐像が対をなして安置されている。 『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』に、この像内に池上本門寺2世、日朗聖人(1243~1320)の真骨を収めていると記されているが、現存は見当らない。 銘文がないのが残念であるが、肖像彫刻として芸術性も豊かであり、その彫像の手法様式などから、室町時代の作品と推考される。 大田区教育委員会 所在 東京都大田区池上1-1-1 (池上本門寺) 大田区指定文化財 柄香炉 昭和50年(1975年)3月19日指定 香炉(こうろ)は人の世を清浄にするために香をたく器であるが、この柄香炉は木製(全長34cm)で、実用仏具ではない。 大きくうねった蓮茎の柄の先端に、蓮華(れんげ)や蓮実(れんじつ)を優美に刻んで香炉型を現し、また柄の中央にも未開蓮華(つぼみ)が刻まれている。 したがって、本品は、『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』その他の古書に、日蓮の所持品と記されているが、これはおそらく日蓮または高僧の肖像彫刻に付属した仏具であろう。 大田区教育委員会
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